1985年日本一研究 6
2007.01.15 Monday
”エース不在の日本一”
今夜は1985年の投手陣を分析します。
ムッシュ吉田氏が某テレビ番組で当時を振り返りこんな事を語ってくれた内容を思い出します。
伝説のバックスクリーン三連発が飛び出した巨人戦はやはり勢いに乗れた事。また、その陰でかすみがちだが、この試合は優勝に大きく貢献した投手がデビューします。
三連発で逆転したのもつかの間、リリーフの福間投手が打たれて追い込まれた終盤、監督はここで一つの賭にでました。球道中西投手のデビューです!
2年目の中西投手は見事期待に応えて、以後この年11勝19セーブの好成績を挙げて優勝に大きく貢献(^-^)/何度もVTRで観たお馴染みの場面!優勝を決めた10月16日のヤクルト戦で抑えの切り札としてヤクルト打線を完璧に抑え、悲願の胴上げ投手になり、最優秀救援投手のタイトルをも獲得しました。
さて、この中西投手以外に忘れてならないリリーフ投手が二人います。
福間納投手
81年にトレードで阪神へ移籍。中継ぎ投手として活躍し、83年に最優秀防御率のタイトルを獲得。そしてなんと84年にシーズン77試合登板のセ・リーグ記録(当時)を達成してます。翌85年の優勝にも大きく貢献しました。
山本和行投手
ご存知初代セーブ王!82年にリリーフに転向し、15勝8敗26セーブ、40セーブポイント、防御率2.41という驚異的な成績で当時の最多記録である40セーブポイントで最優秀救援投手。84年には10勝24セーブで2度目の最優秀救援投手のタイトルを獲得。セ・リーグを代表する守護神として君臨。85年には中西投手とのダブルストッパーで、5勝11セーブを挙げ、21年ぶりのリーグ優勝の原動力となりました。
以上の三人に繋ぐ先発投手陣が
池田親興投手
85年の開幕投手1985年の日本シリーズでは初登板で完封勝利。
リチャードゲイル投手
85年に阪神に入団。この年は打線が爆発し、防御率4.30ながら13勝8敗の好成績を収めます。
中田良弘投手
80年のドラフト1位で阪神に入団。主に中継ぎ投手として活躍し、1981年7月21日から1985年8月11日まで18連勝を記録した。そのうち1985年には開幕9連勝。
その他、伊藤忠光投手、工藤一彦投手、野村収投手、山内新一投手等々が当時の投手陣ですが、ここで驚くべき事実は、85年のシーズンチーム防御率は4.16でリーグ四位であった事。これは例えに挙げて恐縮ですが、06年のチーム防御率トップが日ハムの3.05で、セ・最下位である横浜が4.25、パ・楽天が4.30であり、その他のチームは全て3点代であることから、やはり85年のタイガースは、先発投手が崩されても、ニューダイナマイト打線が逆転して、最後はリリーフ陣で逃げ切る勝利パターンであった事が如実に伺えます!
確かにシーズン219本塁打の記録は、毎年コンスタントに二桁勝利を挙げれるような実績のあるエース不在をもっても、打線がゲームをひっくり返してしまう破壊力があったんですね(^-^)/
次週はいよいよシリーズを振り返ります
参考文献:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
画像:85年戦士、中西投手コーチ(右)
撮影:アナフレ猛虎会『広報部長☆』
撮影日:06年8月18日
場所:明治神宮球場
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