巨人V9研究その6
2006.04.03 Monday
V9研究その4でチームの要であったONの存在を記しました。
王貞治氏が当時を振り返りこんなコメントを残されております。
「67年から68年頃のV4〜V5のチームがピークであった。ミスターも僕も若かったから。V6の頃からは巨人という名前で勝っていた。チーム力は阪神や中日と互角だった」
当時のシーズンを振り返ります。
1969年は強打、強肩捕手田淵の入団と江夏豊-ONの対決で阪神-巨人戦は大人気!7月3日の阪神戦で川上監督は、三度完封を許し巨人戦30回2/3無失点を続ける江夏を何とか打倒しようと、三番長嶋-四番柴田-五番王という思い切った打順を組んだ。これが大成功で生涯一度切りの四番に座った柴田は期待通りにツーランホームランを江夏から打ち、作戦を的中させました。
結局このシーズンはオールスター明け4連勝で弾みをつけた巨人が阪神を引き離して優勝!この年亡くなられた正力翁の霊前のはなむけにシリーズ初となる5連覇を達成する。
何故小生が柴田氏の生涯一度の四番打者の試合をとりあげたか…
裏をかえせば、阪神が生んだ大投手江夏氏の前に、あのONであろうと打てなかったから、このような苦肉の策をとらざる負えなかった川上巨人の史実に、隠された強さの秘密があると思ったからです!
更に裏を返せば、もしONが巨人ではなく他チームに存在したとして、そのチームがV9を達成できたのであろうか?
あの村山氏や江夏氏、また他球団で言えば平松氏や星野氏、山田氏、打者で言えば田淵氏や野村氏等が果敢なまでに挑んだが、巨人に勝てなかった。
なぜこれらの名投手、強打者率いる他チームは、巨人軍をねじ伏せられなかったのであろうか?
次回はこの無敵の巨人打線と投手陣を解剖したい
参考文献:『宇佐美徹也の記録 巨人軍65年』宇佐美徹也 著 説話社
☆頑張れ阪神タイガース☆