1985年日本一研究 4
2006.12.25 Monday
”1964年日本シリーズを学ぶ”
さて今夜は小生が生まれた年に行われました日本シリーズを学びます。
エース小山氏と大毎オリオンズの4番打者山内一弘氏との世紀のトレードを成立させて打撃を強化する一方、ジーン・バッキー投手らが小山投手の穴を埋め、6度目の優勝を果たした阪神タイガース。
1964年の日本シリーズは、3年ぶりのパ・リーグ優勝となった南海ホークスとの関西決戦(御堂筋シリーズ)として10月に阪神甲子園球場と大阪球場の2球場で行われました。
試合結果を振り返ります
第1戦
■1964/10/1 日本シリーズ第1戦対南海 甲子園 入場者数:19904人(延長10回)
南海|010 010 000|2
阪神|000 000 000|0
勝:スタンカ1勝0敗
敗:村山1敗
南:スタンカ
神:村山
第2戦
■1964/10/2日本シリーズ第2戦 対南海 甲子園 入場者数:19190人
南海|000 000 110|2
阪神|100 102 01x|5
勝:バッキー1勝
負:杉浦1敗
南:杉浦-三浦-森中-林
阪:バッキー
■1964/10/4日本シリーズ第3戦対南海 大阪球場 入場者数:29,932人
阪神|014 000 000|5
南海|011 000 110|4
勝:石川1勝
負:スタンカ1敗
HR:藤井1号ソロ、藤井2号ソロ/ローガン1号ソロ/ハドリ1号ソロ
阪:本間-石川-バッキー
南:スタンカ-林-皆川-新山-森中
■1964/10/5/日本シリーズ第4戦対南海 大阪球場 入場者数:30107人
阪神|100 002 000|3
南海|000 120 001X|4
勝:新山1勝
負:村山2敗
HR:山内1号ソロ、山内2号2ラン/ハドリ2号ソロ
阪:村山
南:杉浦-新山
第5戦
■1694/10/6 日本シリーズ第5戦対南海 大阪球場 入場者数:26962人
阪神|030 100 020|6
南海|000 000 030|3
勝:バーンサイド1勝
負:皆川1敗
HR:辻佳1号ソロ/安藤1号2ラン/森下1号ソロ
阪:バーンサイド-渡辺省-バッキー
南:皆川-森中-三浦-新山
第6戦
■1964/10/9 日本シリーズ第6戦 甲子園 入場者数:25471人
南海|020 100 001|4
阪神|000 000 000|1
勝スタンカ2勝1敗
負:バッキー1勝1敗
南:スタンカ
阪:バッキー-若生-渡辺省
第7戦
■1964/10/10 日本シリーズ第7戦対南海 甲子園 入場者数:15172人
南海|020 100 000|3
阪神|000 000 000|0
勝:スタンカ3勝1敗
負:村山3敗
南:スタンカ
阪:村山-バッキー-石川緑
またもやタイガースはあと一歩のところで念願の日本一に手が届かず!涙を飲みました。
当時の南海はまさに黄金期!26勝あげてパ・リーグMVPになったスタンカ投手。杉浦忠投手。打では62年〜68年の6年間に渡って本塁打と打点の二冠王(65年は三冠王)と絶頂期の野村克也捕手。61年〜65年の盗塁王で、この年パの首位打者の広瀬叔功外野手などが顔をそろえていました。事実この年からパ・リーグ三連覇を達成します。監督はあの名将鶴岡一人氏!
ムッシュ吉田氏は当時を自身の著書で振り返ります。↓↓↓
阪神には運もなかった。オリンピックと重ならないように早められた日程。リーグ優勝を決めた翌日には日本シリーズが開幕。調整や南海対策に取り組むどころか、激戦の疲れが積み重なった状態のままで強敵を甲子園に迎えた。しかし阪神はいい戦いをしたと思う。夢の日本一まであと一つまで王手をかけたが、天は阪神を見放した。ここで2日間雨天中止が続き、せっかくの勢いに水を差したのだ。順延後甲子園での第6、7戦、私達はスタンカに2試合連続完封されて、また日本一を逃してしまったのである。それにしても、この時点で阪神が日本一の悲願を達成するのに、85年までの長く苦しい戦いが続く事になろうとは誰が想像しただろうか。↑↑↑
ご承知のとうり翌65年から巨人の9連覇が始まるとともに、”阪神暗黒時代”の始まりとなります。
次週はいよいよ85年のシリーズを学びます(^-^)/
参考文献:『阪神タイガース』吉田義男著 新潮新書
画像:阪神甲子園球場
撮影:アナフレ猛虎会『頑張れ阪神タイガース☆』
撮影日:06年9月29日
☆頑張れ阪神タイガース☆
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