バレンタイン監督に学ぶ、その2
2006.01.18 Wednesday
何故バレンタイン監督はサブローにバントをさせなかったか?
これはバントに対する日本球界の常識と、バレンタイン監督の常識が異なっていることを小川氏は指摘しています。日本球界ではバントは「安全策」であり、誰でもできなければならない基本プレー。しかしバレンタイン監督は、バントも危険度の高いプレーだという前提で作戦を選択している。問題は誰がそれをやるか。「選手は、得意でないことを強要されると力を発揮しない」というのが監督の持論。サブローは05年107試合に出て犠打は2度しか決めていず、加えて2塁走者の初芝は足が遅い。反してサブローは107試合で併殺打はわずか6回。やりなれないバントをさせて、足の遅い初芝を3塁に送れる可能性はどの程度か?サブローにはバント練習はさせるし、シーズン中も状況によってはバントを命じる。しかし本当に勝負のかかったギリギリの場面では、失敗を恐れず、その選手の得意技で勝負させる。プレーオフ第5戦の8回は、まさにそのような場面でした。
そういった時、日本球界では「強攻策」か「安全策」かという選択になりますが、バレンタイン流では「積極策」か「消極策」かという選択になる。積極策をとれば、当然失敗して併殺打に終わることもある。が監督はこう語る「失敗に終わったとしても、チャンスを築いたという(選手たちの)功績まで帳消しになるわけではない。チャンスを築いた功績は評価しなければいけない」結局サブローは2邪飛で、アウトを1つ増やすだけに終わり、次の里崎が初級を左中間へ快打して逆転勝ちしたのですが、これは断じて「結果オーライ」ではなく!“その選手に何ができるかを知り、その範囲内で結果を求めた帰結”と小川氏は主張してます。つまり、失敗しても感情に任せて批判されることはないと分かっていなければ、サブローが倒れた直後の初級、低めの難しい球を、里崎が併殺の危険を冒して、あれほど迷いなくスイングができるとは思えないのであると。『どうすれば選手たちが危険を冒して挑戦し続ける精神を維持できるか』バレンタイン流とは、すべてがそこへ収斂していくと…
…続く
☆頑張れ阪神タイガース☆
これはバントに対する日本球界の常識と、バレンタイン監督の常識が異なっていることを小川氏は指摘しています。日本球界ではバントは「安全策」であり、誰でもできなければならない基本プレー。しかしバレンタイン監督は、バントも危険度の高いプレーだという前提で作戦を選択している。問題は誰がそれをやるか。「選手は、得意でないことを強要されると力を発揮しない」というのが監督の持論。サブローは05年107試合に出て犠打は2度しか決めていず、加えて2塁走者の初芝は足が遅い。反してサブローは107試合で併殺打はわずか6回。やりなれないバントをさせて、足の遅い初芝を3塁に送れる可能性はどの程度か?サブローにはバント練習はさせるし、シーズン中も状況によってはバントを命じる。しかし本当に勝負のかかったギリギリの場面では、失敗を恐れず、その選手の得意技で勝負させる。プレーオフ第5戦の8回は、まさにそのような場面でした。
そういった時、日本球界では「強攻策」か「安全策」かという選択になりますが、バレンタイン流では「積極策」か「消極策」かという選択になる。積極策をとれば、当然失敗して併殺打に終わることもある。が監督はこう語る「失敗に終わったとしても、チャンスを築いたという(選手たちの)功績まで帳消しになるわけではない。チャンスを築いた功績は評価しなければいけない」結局サブローは2邪飛で、アウトを1つ増やすだけに終わり、次の里崎が初級を左中間へ快打して逆転勝ちしたのですが、これは断じて「結果オーライ」ではなく!“その選手に何ができるかを知り、その範囲内で結果を求めた帰結”と小川氏は主張してます。つまり、失敗しても感情に任せて批判されることはないと分かっていなければ、サブローが倒れた直後の初級、低めの難しい球を、里崎が併殺の危険を冒して、あれほど迷いなくスイングができるとは思えないのであると。『どうすれば選手たちが危険を冒して挑戦し続ける精神を維持できるか』バレンタイン流とは、すべてがそこへ収斂していくと…
…続く
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