巨人V9研究その4
2006.03.27 Monday
強いチームの条件に、まず中心選手の存在が挙げられます!最近では世界一となったWBC王ジャパンのイチロー選手と言えますねo(^-^)o選手の模範となってチームを牽引しました。
V9時代のチームの要は言わずと知れたONこと王貞治氏と長嶋茂雄氏です!
・王貞治:一塁手
…早実高のエースとして2年生の春に選抜で優勝。59年、巨人に入団してキャンプから打者に転向した。…荒川氏を師事して一本足打法(フラミンゴ打法)と呼ばれた華麗なフォームで本塁打を量産。
76年10月11日阪神戦で715号を放ち、ベーブルースの記録を破る。さらに77年9月3日に756号をマークしてハンク・アーロンが持つ世界記録を破った。
80年9月12日にはついに通算868号を達成し引退。
94年殿堂入り
・長嶋茂雄:三塁手
…アグレッシブで勝負強い打撃と華麗なフィールディング。「ミスター・ジャイアンツ」「燃える男」と呼ばれた長嶋が、その存在感を焼き付けたのが59年6月25日、後楽園球場での天覧試合だった。4対4で向かえた9回裏、阪神・村山実から劇的なサヨナラ本塁打。戦後のプロ野球を大衆娯楽の王座に位置ずけた一撃から7年後、ライバルの村山は通算1500奪三振の標的に長嶋を選び、記録達成まであと1個となってもわざと前の打者に打ちごろのストレートを投げ、あくまでも長嶋との勝負にこだわった。村山の挑戦を受けた長嶋は、フルスイングで向かっていって結果は三振。大方の打者にとって三振はどこまでも三振でしかないが、長嶋の場合の三振は次の打席への期待をはらませる序曲でありえた。…通算打率3割5厘の他勝負強さを証明する数々の記録を残しているが、長嶋の場合は記録上の軌跡を並べても意味はない。ミスター・プロ野球は、文字どおり「記録よりも記憶に残る」大衆の夢の具現者だったからだ。
88年殿堂入り。
ONを人一倍最大のライバルとしてきたノムさんこと、野村監督の言葉を紹介します
チームの要だったON
『チームを預かることになったとき、いつも私が手本としてきたのは川上哲治監督であり、川上監督が率いたV9時代の巨人というチームであった。それではV9巨人のどこが素晴らしかったのだろうか。まずはなんといっても王貞治と長嶋茂雄、すなわちONの存在をあげないわけにいかない。ONは長らく巨人の3番4番に座り続け常にチームの中心であり続けた。ただし私がこの二人を高く評価するのは、彼らが記録や数字を残したからという理由ではない。彼らが中心選手としての役割と責任をまっとうしていたという事実が大きいのである。私は「中心選手はチームの鏡でなければならない」と述べたが、王と長嶋は、まさしくそうであった。他の選手の模範であり続けたのである。そこが凡百の「四番」とONのちがうところなのである。
…その意味で、私は阪神の金本知憲を高く「評価」している。現在の球界で真の「四番」といえるのは彼くらいだろう。彼は少々の故障くらいでは試合を休まない。チームへの忠誠心も高い。金本が移籍してきてから、阪神の選手の意識が明らかに変わった…金本の野球に取り組む態度を見れば、まわりの選手も自然と「このままではいけない」と感じるようになる。また若手選手が直接叱るより先輩が叱ったほうが叱られた若手のショックは少ない。ここ数年の阪神の躍進には、この金本の存在が大きく寄与している』
参考文献:
『プロ野球を創った名選手・異色選手400人』新宮正春、米田厚彦著
『巨人軍論』−組織とは、人間とは、伝統とは 野村克也著
☆頑張れ阪神タイガース☆
V9時代のチームの要は言わずと知れたONこと王貞治氏と長嶋茂雄氏です!
・王貞治:一塁手
…早実高のエースとして2年生の春に選抜で優勝。59年、巨人に入団してキャンプから打者に転向した。…荒川氏を師事して一本足打法(フラミンゴ打法)と呼ばれた華麗なフォームで本塁打を量産。
76年10月11日阪神戦で715号を放ち、ベーブルースの記録を破る。さらに77年9月3日に756号をマークしてハンク・アーロンが持つ世界記録を破った。
80年9月12日にはついに通算868号を達成し引退。
94年殿堂入り
・長嶋茂雄:三塁手
…アグレッシブで勝負強い打撃と華麗なフィールディング。「ミスター・ジャイアンツ」「燃える男」と呼ばれた長嶋が、その存在感を焼き付けたのが59年6月25日、後楽園球場での天覧試合だった。4対4で向かえた9回裏、阪神・村山実から劇的なサヨナラ本塁打。戦後のプロ野球を大衆娯楽の王座に位置ずけた一撃から7年後、ライバルの村山は通算1500奪三振の標的に長嶋を選び、記録達成まであと1個となってもわざと前の打者に打ちごろのストレートを投げ、あくまでも長嶋との勝負にこだわった。村山の挑戦を受けた長嶋は、フルスイングで向かっていって結果は三振。大方の打者にとって三振はどこまでも三振でしかないが、長嶋の場合の三振は次の打席への期待をはらませる序曲でありえた。…通算打率3割5厘の他勝負強さを証明する数々の記録を残しているが、長嶋の場合は記録上の軌跡を並べても意味はない。ミスター・プロ野球は、文字どおり「記録よりも記憶に残る」大衆の夢の具現者だったからだ。
88年殿堂入り。
ONを人一倍最大のライバルとしてきたノムさんこと、野村監督の言葉を紹介します
チームの要だったON
『チームを預かることになったとき、いつも私が手本としてきたのは川上哲治監督であり、川上監督が率いたV9時代の巨人というチームであった。それではV9巨人のどこが素晴らしかったのだろうか。まずはなんといっても王貞治と長嶋茂雄、すなわちONの存在をあげないわけにいかない。ONは長らく巨人の3番4番に座り続け常にチームの中心であり続けた。ただし私がこの二人を高く評価するのは、彼らが記録や数字を残したからという理由ではない。彼らが中心選手としての役割と責任をまっとうしていたという事実が大きいのである。私は「中心選手はチームの鏡でなければならない」と述べたが、王と長嶋は、まさしくそうであった。他の選手の模範であり続けたのである。そこが凡百の「四番」とONのちがうところなのである。
…その意味で、私は阪神の金本知憲を高く「評価」している。現在の球界で真の「四番」といえるのは彼くらいだろう。彼は少々の故障くらいでは試合を休まない。チームへの忠誠心も高い。金本が移籍してきてから、阪神の選手の意識が明らかに変わった…金本の野球に取り組む態度を見れば、まわりの選手も自然と「このままではいけない」と感じるようになる。また若手選手が直接叱るより先輩が叱ったほうが叱られた若手のショックは少ない。ここ数年の阪神の躍進には、この金本の存在が大きく寄与している』
参考文献:
『プロ野球を創った名選手・異色選手400人』新宮正春、米田厚彦著
『巨人軍論』−組織とは、人間とは、伝統とは 野村克也著
☆頑張れ阪神タイガース☆
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