猛虎かく勝てり6
2006.06.26 Monday
■不屈の男金本知憲その4
阪神に移籍するとやはり甲子園の浜風に苦しんだ。広島での最終年にマークした29ホーマーは19本に減った。
その一方で2番打者赤星君との絶妙のバランスを作り出し、盗塁援護のため好球も見逃す「三番金本」の我慢強い待球を高く評価され、ナインも目立たぬチームプレーに敬意を払った。
それがファンからも絶大なる信頼を得、この頃から『兄貴』と親しみをもって呼ばれるようになった。
前年度より1番に定着していた天才今岡君と並んで、彼らが打てば負けないという流れが出来上がり、そのまま一気に優勝へなだれ込む。
日本シリーズでは4本塁打(史上9人目、10度目)3試合連続本塁打(史上4人目)1試合2本塁打(史上21人目、26度目)と3つのシリーズタイ記録を達成したが、日本一にはあと一歩及ばず。
04年岡田新監督の意向で開幕から4番として起用されると、とにかく球際に強く、球界一と言われるほどのスイングスピードという本来の特徴をフルに発揮、長打を量産するようになる。
8月1日には連続試合フルイニング出場の日本新記録を樹立すると、36歳にして打率、本塁打、打点の3部門で自己新記録(本塁打は1999年と同数)を達成、そして初タイトルとなる打点王を獲得する。
05年は6月10日甲子園球場での北海道日本ハムファイターズ戦の1回裏に入来投手から本塁打を放ち、「セ・パ全12球団から本塁打」という記録を達成した。これは史上4人目の記録だが、過去の3人はいずれもセ・パ各2球団以上を渡り歩いて記録したもの(江藤愼一氏、富田勝氏、加藤英司氏)。
この年から導入された交流戦のおかげで、広島と阪神の2球団しか所属していないにもかかわらずこの記録を達成することができた。
そして、6月28日には米子市民球場で後輩の黒田博樹投手から本塁打を放ち、現役選手では最多の32球場でアーチをかけたこととなった。(日本記録は山内一弘の39球場)
さらに8月11日の中日ドラゴンズ戦では1000試合連続出場、
8月25日(対広島戦)では1000得点、
9月9日(対広島戦)では1000打点を達成すると、
10月4日には40本塁打を達成。
1986年のバース氏以来、日本人選手では1985年の掛布雅之氏以来の大台で、甲子園のラッキーゾーン撤廃後は初めての快挙であった。
チームも優勝し、打率、本塁打、打点の3部門で前年をさらに上回る自己新記録を達成、MVPにも選ばれた。
脚力は健在だが、盗塁は3にとどまり「リトル・トリプルスリー」と笑い話になったが、燦然と輝いたのは、リーグ最多の101四死球だった。
147打点で打点王になった今岡君をアシストする、立派な兄貴ぶりだった(^_^)v
今シーズンは阪神との4年契約の最終年。
フル出場記録継続のプレッシャーに加え、2度目のFA権の行使については「喜ばれていると感じる仕事は、金銭に代えられない」とかわす。考えているのは、「ただひたすら試合に出続けることだけ」であると…
兄貴の今月のホームページに最新のメッセージが掲載されてます。
交流戦を勝ち越しで終ることができた事、個人的には去年みたいな活躍はできなくて残念な結果に終わった事を振り返り、巻き返しを誓ってくれてます。
"指も万全で体調も良好。期待してて下さい"との力強いコメントですぜい(^o^)/
この偉大な鉄人の背中を、皆さん見守り続けようではありませんか(^_^)v
参考文献:日本経済新聞「駆ける魂」浜田昭八
資料提供:アナフレ猛虎会『林君気になる〜☆』
画像:金本知憲外野手
撮影:アナフレ猛虎会『広報部長☆』
撮影日:06年4月1日
場所:明治神宮球場
☆頑張れ
阪神タイガース☆
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快勝後の会見の途中、急激にテンションが上がった。不満を抑えきれなかった。勝利の余韻に浸るどころか阪神・岡田監督は激怒。思いをぶちまけると、自ら席を立ち、会見を打ち切った。
「記録員はあかんわな。(六回の)スペンサーの当たりも、最後の岩村のもそうや
| 女豹が鬱に着替えたら〜私からあなたへ | 2006/06/27 8:39 AM |
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