巨人V9研究その1
2006.03.16 Thursday
まず初めにV9時代突入する前から巨人軍の成績を調べてみました。
リーグ分立1年目の1950年こそ優勝を逃すものの、同年に復帰した水原茂氏を監督に据えて翌1951年からは日本シリーズ3連覇を達成しています。
1954年の2位を挟んで1955年より1959年までリーグ5連覇と第2次黄金時代を成しとげました。
しかし1956年〜1958年の日本シリーズでは、元巨人の三原脩監督率いる西鉄ライオンズとの因縁の対決で3年連続して苦杯を喫します。
さらに1959年にはリーグ優勝は果たしたものの、日本シリーズでは南海ホークスに4連敗。
1960年には三原氏が監督となった大洋ホエールズに6年連続最下位からの優勝を許して水原監督が勇退。
『俺の言いたい事は本に書くくらいあるぜ〜』の台詞を残して巨人を去りました。
1961年、ヘッドコーチであった川上哲治氏が監督が就任。
川上氏は当時先進的とされたロサンゼルス・ドジャースの戦術を取り入れ、就任1年目にして見事に日本一を達成します。
その後、1963年にも因縁の西鉄を破って日本一になり、前人未踏のV9への道を進むことになります。
1965年から1973年までの日本シリーズ9連覇を果たしたことをV9(ブイナイン)と呼びます。
この時期に長嶋茂雄、王貞治、柴田勲、高田繁、土井正三、黒江透修、堀内恒夫、高橋一三など日本プロ野球史を代表する選手が出現。1970年代からのカラーテレビ普及による野球中継が相まって絶大な人気を博し、俗に「巨人、大鵬、卵焼き」と並び賞せられました。
がしかし1974年中日ドラゴンズに20年ぶりのリーグ優勝を許し、V10を果たすことができませんでした。
余談ですが、もし62年と64年に藤本監督(元巨人第一次黄金時代を築いた)率いる阪神タイガースが巨人をしのいで優勝しなければ、もしかすると14連覇となっているんですね〜(^_^;)
まさしく無敵とはこの事でしょうか、凄まじい強さです!
またV10を阻んだ年、大車輪の如く活躍した中日の当時のエースが、言わずと知れた星野仙一氏であった事も追記します(^_^)v
この年を最後に川上監督が勇退。またV9を支えてきた長嶋氏と黒江氏、さらに森昌彦氏も現役を引退され、第三次黄金時代が終焉をむかえました。
参考文献:『わが生涯の野球』ベースボールマガジン社、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
☆頑張れ阪神タイガース☆
リーグ分立1年目の1950年こそ優勝を逃すものの、同年に復帰した水原茂氏を監督に据えて翌1951年からは日本シリーズ3連覇を達成しています。
1954年の2位を挟んで1955年より1959年までリーグ5連覇と第2次黄金時代を成しとげました。
しかし1956年〜1958年の日本シリーズでは、元巨人の三原脩監督率いる西鉄ライオンズとの因縁の対決で3年連続して苦杯を喫します。
さらに1959年にはリーグ優勝は果たしたものの、日本シリーズでは南海ホークスに4連敗。
1960年には三原氏が監督となった大洋ホエールズに6年連続最下位からの優勝を許して水原監督が勇退。
『俺の言いたい事は本に書くくらいあるぜ〜』の台詞を残して巨人を去りました。
1961年、ヘッドコーチであった川上哲治氏が監督が就任。
川上氏は当時先進的とされたロサンゼルス・ドジャースの戦術を取り入れ、就任1年目にして見事に日本一を達成します。
その後、1963年にも因縁の西鉄を破って日本一になり、前人未踏のV9への道を進むことになります。
1965年から1973年までの日本シリーズ9連覇を果たしたことをV9(ブイナイン)と呼びます。
この時期に長嶋茂雄、王貞治、柴田勲、高田繁、土井正三、黒江透修、堀内恒夫、高橋一三など日本プロ野球史を代表する選手が出現。1970年代からのカラーテレビ普及による野球中継が相まって絶大な人気を博し、俗に「巨人、大鵬、卵焼き」と並び賞せられました。
がしかし1974年中日ドラゴンズに20年ぶりのリーグ優勝を許し、V10を果たすことができませんでした。
余談ですが、もし62年と64年に藤本監督(元巨人第一次黄金時代を築いた)率いる阪神タイガースが巨人をしのいで優勝しなければ、もしかすると14連覇となっているんですね〜(^_^;)
まさしく無敵とはこの事でしょうか、凄まじい強さです!
またV10を阻んだ年、大車輪の如く活躍した中日の当時のエースが、言わずと知れた星野仙一氏であった事も追記します(^_^)v
この年を最後に川上監督が勇退。またV9を支えてきた長嶋氏と黒江氏、さらに森昌彦氏も現役を引退され、第三次黄金時代が終焉をむかえました。
参考文献:『わが生涯の野球』ベースボールマガジン社、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
☆頑張れ阪神タイガース☆