巨人V9研究その9
2006.04.11 Tuesday
■2006/4/11 試合結果対中日 1回戦 甲子園雨天中止
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2000/3/19に某民放放送で特集された「ジャイアンツV9伝説と名参謀・牧野茂」
をご覧になられた方もいらっしゃると思います。
今なお語り継がれるジャイアンツV9の奇跡はいかにして生まれたのか。ON、柴田、堀内らV9戦士と呼ばれた男たち。鬼の異名をとった監督川上哲治。
そしてそれを陰で支えた名コーチ牧野茂。
日本プロ野球界不滅の金字塔と言われる
ジャイアンツV9に秘められた人間ドラマを描ききった、見ごたえのある番組でした。
今までも幾度と紹介した『ドジャースの戦法』について話をもどし、
且つ本日はコーチ陣を分析いたします。
巨人の監督に就任した川上氏は、勝つための野球を模索し、「思い切り投げる、思い切り打つ、思い切り走る」という野球が当たり前だった当時の球界で、本当に強いチームを作るためにはどうすればよいのかを模索します。
氏には一つの目算がありました。
一冊の小さな本『ドジャースの戦法』に惚れ込んでいた川上氏は、巨人にこの方法論を持ち込むことを既に考えていました。
しかし、思いきり投げる打つ走るという野球をしてきた選手たちに、組織野球・チームプレイという概念が本当に浸透するのか?
それよりも選手を教えるコーチたちが理解できるのか?
川上氏はその人選に頭を悩ませていました。そんな矢先に眼に飛び込んできたのが、舌鋒鋭く巨人の長所短所を批評する新聞記事でした。
その署名記事を書いたのは牧野茂。
2年前まで中日ドラゴンズでプレイしていた遊撃手であり、華麗なフィールディングが記憶に留まる程度の小柄な選手でした。
しかし川上氏は、選手としての牧野より野球を見る牧野の眼に惚れ込みます。
『この男とならやれる』氏は三顧の礼をもって牧野氏を巨人のコーチとして迎えます。
川上氏のご子息の書籍に、当時の牧野氏を回想されている言葉があります。
…ドジャースの野球をチームに定着させるために守備コーチとして目をつけたのが牧野茂という男であった「川上は選手起用に私情をはさんているというようなカチンとくることや、ベロビーチに行ったわりにはチームプレーがさまになっていないというようなことを書いていた。
それで牧野の書くものはいつも読んでいた。そのうちにあることに気がついた。
牧野は厳しいことも書くが、おれならこうするという自分の意見をきちんと書いていた。これは使えそうな男だと思ったのはそのときだ」と父は言っている。
牧野茂は昭和27年に明大から中日ドラゴンズに入団した。34年までの現役生活で通算打率は二割一分七厘と非力だったが、ショートを守って華麗な守備を売り物にした。…父が監督になる前に牧野とゴルフをしたことがあった。…父はその時牧野の持つやわらかな雰囲気と、人を惹き付ける話振りに好感を持った。「この男は自分に欠けているものを全部持っていると思った」と父は言っている。…
この名参謀とよばれた牧野氏を筆頭に、川上氏はコーチの役割分担と責任を明確にし、大幅に権限を委譲するだけでなく、王氏の師匠となる打撃コーチとして荒川博氏といった外様のコーチを採用。ランニングコーチとして野球とは無縁の東京五輪十種競技の代表だった鈴木章介氏といった異能のスペシャリストを招きいれ、システマチックな練習方式に一変させました。
又生来の口下手から「哲のカーテン」などと呼ばれた一方で、日本初の広報係を置いたり、データ収集のための先のりスコアラー制を採用したのも川上氏がパイオニアである。
またヘッドコーチには南村氏や白石氏といった巨人OBの大物を据えながら実権は与えず、実務の分担は牧野氏ら他球団出身のコーチに委ねるという巧妙な組織を作りあげたとも言われてます。
チームプレーを定着させ、監督が絶対至上という強固なトップダウン方式を作りあげたのが川上監督であり、その強烈なカリスマ性が大リーグにもない巨人のV9を生みだしたと言う専門家が多い。
参考文献:『父の背番号は16だった』川上貴光 著 朝日新聞社
☆頑張れ阪神タイガース☆