1985年日本一研究 16
2007.03.26 Monday
”神様・仏様・バース様”
日本プロ野球が誕生して70余年の歴史のなかで、史上最強の長距離打者を上げるならば、私は世界の王貞治氏以上にこの男であると迷わず断言したい。
ランディ・バース内野手
アメリカ合衆国オクラホマ州ロートン生まれ。右投げ左打ち。
縦縞背番号44はまさに「史上最強の助っ人」と評され、タイガース在籍中の6年間の中でも特に日本一となった85年から86年の二年間は、日本の投手陣が悉く打ち込まれて歯がたたなかった事が彼の打撃成績から伺える。
まさに”神様”であったと言えよう。
1年目から打率.288、35本塁打、82打点と長打力を見せつけ、同年のシーズン終盤にはチーム記録となる25試合連続安打を記録。これは後に桧山進次郎選手に抜かれるまで球団記録でもあった。
1985年には掛布雅之氏と岡田はんとの強力クリーンアップを形成。同年4月17日の対巨人戦でのバックスクリーン3連発はあまりにも有名。
この年は打率.350、54本塁打、134打点の成績を残してセ・リーグ初の外国人三冠王に輝き、阪神の21年ぶりのリーグ優勝と初の日本一に大きく貢献。
この活躍が認められ、シーズンと日本シリーズの両方でMVPを獲得する快挙を達成。
さらにこの年に、それまで王貞治氏の持っていたシーズン55本塁打の記録更新かと騒がれ、54本を打った段階で残り試合数が2試合になるが、奇しくもその2試合が巨人戦であったため、最初の試合で先発した江川卓氏だけが勝負に挑んだが、そのほかの投手には全く勝負してもらえず、事実上の敬遠攻めにより記録達成には至らず。
1986年のシーズンも打率.389、47本塁打、109打点の成績を挙げ、堂々の2年連続三冠王に輝く。同年記録したシーズン打率.389は、現在も日本記録。
その他7試合連続本塁打の日本タイ記録(江川卓氏の直球を後楽園球場のライト場外に運んで記録に並ぶ、ちなみに記録保持者は王貞治氏)。
13試合連続打点、シーズン最高長打率.777
の日本記録もいずれも未だに破られていないとてつもない大記録である。
なぜ無名の大リーガーが日本最強の長距離打者になり得たのか?様々な説をあげてみました。
・自己流に陥らずに対戦相手の投手の癖を細かくメモし、変化球打ちに切り替えたこと。
・浜風の強い甲子園対策として掛布氏の流し打ちを伝授されたことが氏のバッティングの幅を広げ、レフトスタンドにもホームランを量産するようになり、持ち前のパワーと相まって驚異的な成績を残す。1985年の日本シリーズ第1、2戦などはその典型。
・長崎慶一氏のバッティングを徹底的に研究。
・川藤幸三氏とも殆ど日本語まじりの英語で将棋を指すなどして、チームメイトに溶け込む努力をしていたことは有名
さらに小生の観点として、バース氏のタイガースの去り方を回想するに、チームメイトの待遇に対して当時の監督やフロントと衝突するなどの確執から、リーダーシップをとれるクレーバーな性格も見逃せない。アメリカでは野球選手としての知名度は日本とは正反対で皆無であるが、地元オクラホマでは政治家としての手腕を大きく評価されているところからも、氏の有能な指導者としての一面がうかがえる。
バース氏の獲得したタイトルを最後に記しましたが、この男の記録を破る選手が果たして出現するかどうか疑問である……
・三冠王 2回(1985〜1986)
・首位打者 2回(1985〜1986)
・本塁打王 2回(1985〜1986)
・打点王 2回(1985〜1986)
・最高出塁率 2回(1985〜1986)
・最多勝利打点 1回(1985)
・MVP(1985)
・ベストナイン 3回(1985〜1987)
参考文献:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
画像:『助っ人列伝』文春文庫
撮影:アナフレ猛虎会『頑張れ阪神タイガース☆』
撮影日:07年3月25日
☆頑張れ阪神タイガース☆
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