1985年日本一研究 13
2007.03.07 Wednesday
”管理野球が個性派野球に敗れた日”
1985年の日本シリーズは、吉田監督率いる阪神タイガースが広岡監督率いる西武ライオンズを4勝2敗でくだし、初の悲願となる日本一となった(^-^)/
日本全国が”阪神フィーバー”に沸きあがたことは言うまでもなく、当時を懐かしまれる往年のファンもたくさんいらっしゃることでしょう(^O^)/
西武は怪物バース対策として若き左腕のエース工藤公康投手を起用しました。今や押しも押されぬ大投手となった若き工藤投手が果敢に勝負を挑みますが、2ホーマーを打たれて失敗に終わりました。
池田投手とゲイル投手は絶好調でシリーズに挑み2人で3勝。
また第6戦の初回には長崎啓二氏の満塁本塁打(第5戦に続き連発)で一気に栄光への階段を駆け登りました(^-^)/
日本シリーズ不敗神話を誇っていた西武の広岡監督は、負けたら辞めるという公言どうりシリーズ終了後辞任されます。
MVPはもちろんこの人!3試合連続ホームランを打ち、第2戦での辻選手のスクイズを素早いダッシュとスローイングで秋山選手を本塁封殺に仕留めるなど、圧倒的な存在感を示した怪物バース氏が獲得。
第4戦には51,554人と日本シリーズ史上最多の入場者数を記録。これはかつての甲子園の収容量を上回る球場が誕生しない限り記録の更新はありえません。
当時の西武ライオンズは82年からV2を達成するなどの黄金期がはじまろうとしていました。
吉田監督は選手時代にも同じ遊撃手として戦った広岡西武に対して、挑戦者としてペナントレースの勢いそのままの状態で思い切って戦えたとふりかえります。
ペナントレースでは「機動力野球」の広島カープを、日本シリーズでは「管理野球」の西武ライオンズを、打線の破壊力と弱体投手陣の小刻みな継投とスタンドの熱気がかみ合った「一丸野球」で遂に悲願の日本一を達成した奇跡のシーズンと言っていいでしょう!
2リーグ制になってからすでに50余年ですが、あとにも先にも日本一になったのはこの1985年の一度きりの阪神タイガース!
耳の痛い話ですが、21年振りにペナントレースを制した後、ファンの間で”次の優勝は2006年か”などと冗談が飛び交いましたが、これからが所謂タイガースが一番弱かった時代である”暗黒時代”の序章となってしまいました。
それと全く対照的だったのが、このシリーズで敗れさった西武ライオンズ。この敗戦を境にまさにあの『V9時代の巨人』を凌ぐほどの伝統ある常勝軍団への道を歩みます。
今シリーズ研究を通じて、西武ライオンズの強さも学びとりましたので、次週は西武ライオンズ常勝軍団の秘密を探ります。
参考文献:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
画像:1985年優勝記念ハッピ
撮影:アナフレ猛虎会『濱ちゃん気になる〜☆』
撮影日:06年10月10日
場所:虎キチの部屋
☆頑張れ阪神タイガース☆
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