アナフレ猛虎会

皆様こんにちは。アナフレ猛虎会 通称”頑張れ阪神タイガース☆です。
▼ 猛虎かく勝てり61
[ 上坂 ]


”F1セブン4号車も正念場”

今シーズン僅か1試合に出場した野手がいる。
一軍登録期間もわずか10日間に終わった。今回の秋季キャンプでも、若手選手の話題に埋もれて、風の便りも聞こえてこない。
来季は正念場のシーズンになるであろう男!
今夜は上坂太一郎内野手です!

デビューは鮮烈でしたね〜当時の野村監督からF1セブンと名付けられました。

赤星憲広(1号車)
藤本敦士(2号車)
沖原佳典(現楽天、3号車)
上坂太一郎(4号車)
平下晃司(現ロッテ、5号車)
松田匡司(阪神→ダイエー→近鉄、6号車)
高波文一(現西武、7号車)

懐かしい面々ですね!厳しい実力の世界です。他チームのユニフォームを着て活躍している選手もいれば、すでに二人がユニフォームを脱ぎ、残る縦縞戦士は赤星君とモンキー、そしてこの上太郎君の三人となりました。

内野も外野も守れるユーティリティープレイヤーも、はや来年はプロ8年目を迎え、30歳となります。
今シーズンの唯一の出場試合は7月2日の巨人戦ですね!今岡君が負傷離脱後、三塁のポジション争いに、健太郎君と片岡の旦那についで加わって、八番サードスタメンで出場しましたが、新鋭内海投手の前に2打席凡退(^_^;)数少ないチャンスを残念ながら者にできず、数日後一軍登録を外れました(^_^;)

ウェスタンリーグの成績です
試合71 打数148 得点18 安打41 二塁打4 三塁打2 本塁打1 打点17 盗塁2 犠打4 犠飛1 四球10 死球0 三振16 打率.277

来年は内野手争いも加熱します!たとえ片岡の旦那が引退されても、立ちはだかる大きな壁は健太郎君、今岡先生というハイレベルな争いがまち受けます。
そうそう、秀太君も忘れちゃいないぜい(^O^)/
しかし上太郎君とてまったく可能性が無い訳ではありませんね!
何か際立ったセールスポイントが欲しい所ですな〜極端な事を言えば、竜さんの山本昌投手や岩瀬投手に対する左投手キラー振りでもいいじゃないですか(^-^)/

阪神の大投手、江夏氏に滅法相性がよかった巨人の柴田氏を昨年ブログでも紹介させていただいた事を思いだしました。

頑張れ上太郎(^-^)/まだまだチャンスは残されてるぜい!最後まで諦めるなよ〜!

画像:上坂太一郎内野手

撮影:アナフレ猛虎会『広報部長☆』

撮影日:06年7月1日

場所:東京ドーム

☆頑張れ阪神タイガース☆

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author : 頑張れ阪神タイガース☆ | 23:38 | comments(0) | trackbacks(0) |
▼ 日本一奪還に向けてNo24
[ 上坂 ]
2005年11月15日 23時00分

本日の安芸キャンプでは注目のルーキー16歳の辻本投手が初めてフリーバッティングに打撃投手として登板。上坂、桜井の2選手相手にピッチングを行った模様。その内容は緊張からか制球を乱して球が上ずってしまうところも見られたが、いい球を投げ込む場面もあり、今日のキャンプで、一番の注目を集めていたそうです。ますます成長していく若虎の活躍が楽しみですね(^o^)/
さて本日は上坂 太一郎(かみさか たいちろう)内野手(セカンド、外野も可)です(^_^)v1977年4月14日生 右投げ右打ち 愛知県出身 享栄高-王子製紙春日井 1999年ドラフト5位。01年6月29日対ヤクルト戦(甲子園)延長10回、この日66歳の誕生日を迎えた野村克也監督を祝うサヨナラホームランを放ったことがある。04年は野球のことよりも、速度違反を繰り返したとして、道路交通法違反の罪に問われたことが大きな話題に。ちなみに神戸地裁より懲役6ヶ月、執行猶予2年(求刑懲役6ヶ月)の判決を言い渡されている。知る人ぞ知るF1セブン4号車。今シーズンの成績です!
25試合 率.154 1打点 0本塁打 打数13 安打2 四死球2 盗塁0
悪がき上太郎君も今シーズンはわずか25試合の出場にとどまりました。若手の台頭でセカンドも藤本、関本、そして赤松も加わるデットヒートに、外野手のポストも林や桜井が加わり、ますます層に厚みがでてきたタイガース野手陣です(^o^)/彼にとっては来年が正念場の年になるに違いありません!上太郎君は中堅としてベテランと若手を脅かす、台風の目となるような活躍を期待したいですねo(^-^)o

☆頑張れ阪神タイガース☆

コメント(2)

2005/11/16 09:04 ☆頑張れ阪神タイガース☆

かじかずさん!シリーズ40人枠に入れなかった上坂君の来年が正念場ですね(*^^)v


2005/11/15 23:18 かじかず

今シーズンは赤星の代役として出てましたが、来年はもっと期待しております。

author : 頑張れ阪神タイガース☆ | 23:43 | comments(0) | trackbacks(0) |


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阪神タイガースおっかけマップ (2005)
阪神タイガースおっかけマップ (2005)

阪神タイガースを語るには何がなくてもまず甲子園球場。大歓声でマンモススタンドが揺れ、ラッキーセブンのジェット風船は夜空が隠れてしまうほど舞い上がる。みなさん人生そのものをタイガースにかけているのだ。甲子園球場はもちろん、その周辺のこと=甲子園の街並みを知っていただきたい。野球とともに歩む姿を。またたくさんの楽しい、うれしいお店がいっぱいある。タイガースOBのお店や、ナインご贔屓のスポット、ファンが集うショップ。・・・・いえいえ甲子園だけではありませんぞ。おとなり尼崎も、芦屋も神戸、大阪も・・・・関西圏をくまなく知っていただこう。もちろん関東の情報も掲載!
野村ノート
野村ノート

ところが、以外な選手に感謝されているということもある。その代表的なのが桧山である。阪神時代、桧山に対しては叱ったことはあっても、野球はこうだ、人生はこうだと懇切丁寧に指導した記憶がない。・・・・平成15年、確か優勝した翌日の新聞だったと思うが、彼のインタビューに目を通し驚いたことがある。「野村さんが阪神の監督だったときは、いっていることがよく理解できなかったんですが、今になってやっとわかってきました」・・・・・桧山のように思ってもみなかった選手から感謝を受けるのも指導者冥利に尽きる。  それにしても人生はまさに一期一会だなあと思う。赤星、藤本は阪神のドラフトリストに名前はなかった。赤星はアマからのキャンプ参加、藤本は社会人選手権大会の観戦に行って、遊撃手を探していたときに目に留まった選手である。・・・・私との縁を大切にし、「考えないよりは考えるほうがいい」「知らないより知っていたほうがいい」と私にいわれ、「なるほどそうだな」と思い、ノートをこまめに取り、そのノートを保存し何度も読み返す。こうしたちょっとの差が、いざ自分が指導する立場になったときに活き、あるいはコーチや監督という地位を得るためのチャンスとなる。逆に出会いや縁を無駄にしてしまう選手は、将来の可能性まで狭めてしまうのである。
猛虎の70年
猛虎の70年

第1章阪神タイガースとは何か・・・・おそらくクソ度胸という点では球界ナンバー1の星野仙一の背中にスーッと寒気が走ったのは、彼が阪神の監督になってすぐのことだった。・・・いや、「恐怖」すら感じたという。それは阪神ファンが試合に感動し、勝利の歌を大合唱し、それが終わると球場の外へ出て、ゾロゾロと甲子園駅に帰るのではなく、球場近くの広場に何千人と集まり、そこでも「六甲颪」の大合唱をやるのだ。ファンはやがて甲子園の駅に移動する。この甲子園駅でもまたも「六甲颪」の大合唱となる。それでも終わらない。阪神電車に乗り込んだファンはそのまま梅田の駅で降りて、その梅田駅コンコースでまたまた「六甲颪」の大合唱である。これが深夜まで続くのだ。「お前ら、あれが聞こえるか?俺達はあの熱狂的なファンに対する責任があるんだ。もしあのファンを裏切ったら・・・・俺はどうなるか知らんゾ」・・・・「俺は勝ちたいんや!そのためにはどうするんや?俺はファンに喜んでもらいたいんや・・・・・」なんとも野暮なセリフである。だがかつて阪神の監督としてこんな直接的な言葉を発した指揮官はいなかった。少年のように「勝ちたいんや!」と絶叫する星野仙一。監督室まで聞こえてくる大合唱、そして海鳴りのようなファンの”鼓動”が星野仙一をギリギリまで追い詰めていったのである。そこには「日本一わがままで、日本一熱心で、日本一我慢強い」と星野が評したファンの姿があった。
巨人軍かく勝てり―V9達成の秘密
巨人軍かく勝てり―V9達成の秘密

チームプレーとは「チームワーク」=「人の和」よりさらに深い考え方で、“人間集団におけるモラルから、グランド上のプレーに至るまで、あらゆる人間行動を網羅した広い考え方”といってよいと思う。
簡単な具体例をあげよう。
いまここで二人の人間がキャッチボールを始めるとする。ボールを握って投げる側は、次のように考える「相手が取りやすいところへとりやすいスピードで投げてやろう。投げ返す時のことも考えて胸元へ投げてやろう」そう考えて投げる。
一方受ける側はどうか。相手がそう考えて投げてもミスすることがある。だから相手の気持ちを察して、「万一とりにくいボールがきても、何とか受けてミスを未然に防いでやろう」この二人の「思いやり」がチームプレーの根本精神である。
 このちいいさな「思いやり」は、やがて「自分の義務と役割を完全に履行」することに広がり、チームのために「自己犠牲」をいとわず、「助け合い」、そしてチーム全員に「感謝」するところにまで高められていく。
巨人軍論 ――組織とは、人間とは、伝統とは
巨人軍論 ――組織とは、人間とは、伝統とは

チームの要だったON
『チームを預かることになったとき、いつも私が手本としてきたのは川上哲治監督であり、川上監督が率いたV9時代の巨人というチームであった。それではV9巨人のどこが素晴らしかったのだろうか。まずはなんといっても王貞治と長嶋茂雄、すなわちONの存在をあげないわけにいかない。ONは長らく巨人の3番4番に座り続け常にチームの中心であり続けた。ただし私がこの二人を高く評価するのは、彼らが記録や数字を残したからという理由ではない。彼らが中心選手としての役割と責任をまっとうしていたという事実が大きいのである。私は「中心選手はチームの鏡でなければならない」と述べたが、王と長嶋は、まさしくそうであった。他の選手の模範であり続けたのである。そこが凡百の「四番」とONのちがうところなのである。

…その意味で、私は阪神の金本知憲を高く「評価」している。現在の球界で真の「四番」といえるのは彼くらいだろう。彼は少々の故障くらいでは試合を休まない。チームへの忠誠心も高い。金本が移籍してきてから、阪神の選手の意識が明らかに変わった…金本の野球に取り組む態度を見れば、まわりの選手も自然と「このままではいけない」と感じるようになる。また若手選手が直接叱るより先輩が叱ったほうが叱られた若手のショックは少ない。ここ数年の阪神の躍進には、この金本の存在が大きく寄与している』

ドジャースの戦法
ドジャースの戦法

『投手は自分の左側に球を打たれたらすぐさま一塁に向かってスタートする習慣をつけなければならなぬ。ゴロであろうとライナーであろうと変わりはない。直ちに一塁に突進せよ。適当な時に投手がマウンドを離れなかったためにゲームを失ったためしは多い。打球が左側にきたら、投手は真っ直ぐに一塁にスタートし、塁に近付いたらスピードを緩め、右足を塁に触れて、一塁手からの投球を待ち受ける。球を受け取ったら走者との衝突をふせぐために、ファウルラインの内側を二、三歩走り続けるが、この場合もし他の塁にも走者がいたら、投手はできるだけ早くとどまり、必要に応じて他の塁に投球する用意をせねばならない。
走者の足が遅いか、又は他の理由で投手がゆっくり一塁に間に合った時には、塁上で止まって、こちらに投球しようとしている野手の方に向き直り、一塁手のような身のこなしで、体をのばしたり、どちらかの側へ動いたりして、一塁手の代わりをつとめなければならぬ。』
背番号三桁―「僕達も胴上げに参加していいんですか?」
背番号三桁―「僕達も胴上げに参加していいんですか?」

「アホか、みんないいから出ろ!お前たちも行け!」優勝が決まった瞬間、ベンチから選手が一斉に飛び出した。星野はすぐさま裏方に対して叫んだ。
「尾張メモ」の全貌―情報は盗んで活かせ
「尾張メモ」の全貌―情報は盗んで活かせ

虚像がユニフォームを着ている

広岡監督殿

巨人偵察記・巨人の実像・私が過去三十年、対巨人と戦ってきた印象からみると、最低の巨人といっても過言ではない。人気という点では昔と雲泥の差があっても、実技つまり野球のすべてに対する取組む姿勢が欠けていること。緻密性がない。個人的には優秀な人材はおりますが、チームプレー1つをとってみても投手は三本間に三塁走者を挟みながら、生かしてしまうランダンプレー等がその例。一発で刺さねばいけないプレーをウロウロして生かすということは、過去の巨人では考えられないことです。極端な表現ですが、巨人のユニフォームを着ている虚像にすぎない。−こう断言できます。

このくらいのチームが優勝することはちょっと考えられないことだが、優勝をバックアップしている審判団の判定が大きく作用していることは申すまでもありません。私自身がこの目で見ても、巨人がパ・リーグであれば、近鉄クラスの実力と見ます。それで人気だけが物凄い、まさに虚人です。・・・・・・
1983年10月15日
阪神タイガース
阪神タイガース

序章 黄金時代の幕開け
”遂に来たタイガースの時代”
『この世の春、である。長い長い苦難のときを経て、とうとう阪神タイガースの時代がやって来た』
覚悟のすすめ (角川oneテーマ21 A 87)
覚悟のすすめ (角川oneテーマ21 A 87)

これまでのプロ野球生活で、胸を張って自慢できることがひとつある。

それは、

「たとえお金にならないことでも、やるべきことを、全力を尽くしてやってきた」

ということだ。

2000年5月12日の第三打席を最後に、翌年9月28日の横浜戦第二打席まで、私は1002打席にわたって一度も併殺打を記録しなかった。これはあまり知られていないが日本記録である。
ただ、常に全力疾走を心掛けていなければ達成できなかった記録でもある。それを私は誇りに思う。

連続フルイニング出場にしても、「すごい」とほめられはしても、直接お金として返ってくるわけではない。

それでも私は、セーフになるチャンスがあれば、一塁に全力疾走する。果敢にボールを追うし、つねに次のベースを目指そうとする。なぜなら

「たとえお金にならないことでも、全力プレーするのがプロ」
そう思っているからである。

「いつケガをしてもいい」そういう覚悟で私は常に試合に臨んでいる。

それが、これまでの私のプロ野球生活を支えた信念であり、いまもつねに自分自身にいいきかせているモットーである。