アナフレ猛虎会

皆様こんにちは。アナフレ猛虎会 通称”頑張れ阪神タイガース☆です。
▼ 猛虎かく勝てり1391
[ 97田面 ]



”大先輩に学べ“

今シーズンから背番号を22番に戻す球児君!例年になく静かな自主トレを送っているようですが、記事を見つけました。
そして後輩の指導にも携わってくれています。

高知県内で球児君と合同自主トレを行っていたのは、プロ5年目の田面君です。
21日、鳴尾浜組に合流。球児君からシュート回転の改善法を伝授された模様。左足を上げて前に出すタイミングや着いた位置、顔の位置を言っていただき、投げてみたらしっくりきたそうですね。継続してやっていきたいと!
昨季は開幕直後に支配下再登録を勝ち取りましたが、4試合で0勝1敗、防御率6・23。
球児君の教えを胸に、今季必ずブレークしてほしい逸材です!


参考文献:阪神タイガース公式サイト


画像:田面 巧二郎投手


撮影:アナフレ猛虎会『狩野応援隊長☆』


撮影日:2016年04月10日


場所:霞ヶ浦第一球場










author : 頑張れ阪神タイガース☆ | 16:24 | - | - |
▼ 猛虎かく勝てり1297
[ 97田面 ]

“球児二世の呼び声“

背番号97番 田面 巧二郎投手

登板4勝利0 敗北1 セーブ0完投0完封勝0無四球0対打者20
投球回4 1/3安打5本塁打0四球3死球0三振2暴投0ボーク0
失点3自責点3防御率6.23

公式戦開幕直後の4月15日に、支配下登録選手へ復帰。背番号も97となった男。
5月19日の対中日ドラゴンズ戦8回表に、自身と同じ経緯で先に支配下登録選手へ復帰した原グッチとのバッテリーで一軍デビューを果たしました。
縦縞で育成契約を経験した投手と捕手が、バッテリーを組んで一軍公式戦に出場した事例は、球団史上初めての快挙。
田面君も月間MVPとなれば大記録となりましたが、なかなかうまくいかないのがプロの世界でしょう。
最速151km/hのストレートとスライダー、フォークを武器とするこのような球速から、入団当初は即戦力として期待されていました。
また、球児君を彷彿とさせることから、球児2世の呼び声も高い男でございます。
課題は制球難と言われる球児二世のノビしろは十分です!


参考文献:阪神タイガース公式サイト


画像:田面 巧二郎投手


アナフレ猛虎会『やっちゃん☆』


撮影日:2015年04月10日


場所:霞ヶ浦第一球場








author : 頑張れ阪神タイガース☆ | 07:03 | - | - |
▼ 猛虎かく勝てり850
[ 97田面 ]




“若虎達の成長に期待する”

二日間ネガティブな投稿をいたしました。
監督は全ての虎党の野次や罵りを受け止める責任があるのでご勘弁ください。

さて、不肖『頑張れ阪神タイガース☆』2013年も春季キャンプから球場に足を
運ばせていただき、猛虎ナインの雄姿を撮影させていただきましたが、小生の
カメラに収まっても、一度も公式戦に出場できなかった選手と、カメラに収まる
機会がなくても公式戦に出場した選手が今年もいました。
後者は毎年恒例の出場選手背番号順のかく勝てりで投稿させていただきます
ので、今夜は前者の猛虎ナインを紹介させていただきます。
因みに、カメラに収まっても公式戦に出場できなかった選手は、投手で言えば
伊藤和雄君、二神君、そして今夜投稿の田面君の何故か投手三人でございます。

ドラフト3位ルーキーの田面君と、育成枠の島本君が、鳴尾浜で居残りの猛練習に
励んだ。というニュースが日刊スポーツサイトに掲載されていました。
二人とも宮崎遠征のメンバーから外れていますね。
田面君とは宜野座キャンプのブルペンで初めて拝見させていただきました。
藤浪君ばかりが注目を浴びていることをよそに、黙々と全力投球をしていたという
印象です。あまり体格は大きくなかったので、トレードされた若竹君と似たような
タイプかな〜っていう印象でしたか。
同じ高卒ルーキーの藤浪君が大活躍だったのに対し、一軍キャンプに帯同するも、
公式戦出場は無。またオフのフェニックスリーグメンバーから漏れたとすれば、
本人も戦線恐々といった気分ではないでしょうか。

公式戦で小生のカメラに収まるのはいつの日か?
若虎の成長に期待いたします!(^^)!


参考文献:阪神タイガース公式サイト


画像:田面 巧二郎投手


アナフレ猛虎会『頑張れ阪神タイガース』


撮影日:2013年02月17 日


場所:沖縄宜野座村野球場


author : 頑張れ阪神タイガース☆ | 07:21 | - | - |


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阪神タイガースおっかけマップ (2005)
阪神タイガースおっかけマップ (2005)

阪神タイガースを語るには何がなくてもまず甲子園球場。大歓声でマンモススタンドが揺れ、ラッキーセブンのジェット風船は夜空が隠れてしまうほど舞い上がる。みなさん人生そのものをタイガースにかけているのだ。甲子園球場はもちろん、その周辺のこと=甲子園の街並みを知っていただきたい。野球とともに歩む姿を。またたくさんの楽しい、うれしいお店がいっぱいある。タイガースOBのお店や、ナインご贔屓のスポット、ファンが集うショップ。・・・・いえいえ甲子園だけではありませんぞ。おとなり尼崎も、芦屋も神戸、大阪も・・・・関西圏をくまなく知っていただこう。もちろん関東の情報も掲載!
野村ノート
野村ノート

ところが、以外な選手に感謝されているということもある。その代表的なのが桧山である。阪神時代、桧山に対しては叱ったことはあっても、野球はこうだ、人生はこうだと懇切丁寧に指導した記憶がない。・・・・平成15年、確か優勝した翌日の新聞だったと思うが、彼のインタビューに目を通し驚いたことがある。「野村さんが阪神の監督だったときは、いっていることがよく理解できなかったんですが、今になってやっとわかってきました」・・・・・桧山のように思ってもみなかった選手から感謝を受けるのも指導者冥利に尽きる。  それにしても人生はまさに一期一会だなあと思う。赤星、藤本は阪神のドラフトリストに名前はなかった。赤星はアマからのキャンプ参加、藤本は社会人選手権大会の観戦に行って、遊撃手を探していたときに目に留まった選手である。・・・・私との縁を大切にし、「考えないよりは考えるほうがいい」「知らないより知っていたほうがいい」と私にいわれ、「なるほどそうだな」と思い、ノートをこまめに取り、そのノートを保存し何度も読み返す。こうしたちょっとの差が、いざ自分が指導する立場になったときに活き、あるいはコーチや監督という地位を得るためのチャンスとなる。逆に出会いや縁を無駄にしてしまう選手は、将来の可能性まで狭めてしまうのである。
猛虎の70年
猛虎の70年

第1章阪神タイガースとは何か・・・・おそらくクソ度胸という点では球界ナンバー1の星野仙一の背中にスーッと寒気が走ったのは、彼が阪神の監督になってすぐのことだった。・・・いや、「恐怖」すら感じたという。それは阪神ファンが試合に感動し、勝利の歌を大合唱し、それが終わると球場の外へ出て、ゾロゾロと甲子園駅に帰るのではなく、球場近くの広場に何千人と集まり、そこでも「六甲颪」の大合唱をやるのだ。ファンはやがて甲子園の駅に移動する。この甲子園駅でもまたも「六甲颪」の大合唱となる。それでも終わらない。阪神電車に乗り込んだファンはそのまま梅田の駅で降りて、その梅田駅コンコースでまたまた「六甲颪」の大合唱である。これが深夜まで続くのだ。「お前ら、あれが聞こえるか?俺達はあの熱狂的なファンに対する責任があるんだ。もしあのファンを裏切ったら・・・・俺はどうなるか知らんゾ」・・・・「俺は勝ちたいんや!そのためにはどうするんや?俺はファンに喜んでもらいたいんや・・・・・」なんとも野暮なセリフである。だがかつて阪神の監督としてこんな直接的な言葉を発した指揮官はいなかった。少年のように「勝ちたいんや!」と絶叫する星野仙一。監督室まで聞こえてくる大合唱、そして海鳴りのようなファンの”鼓動”が星野仙一をギリギリまで追い詰めていったのである。そこには「日本一わがままで、日本一熱心で、日本一我慢強い」と星野が評したファンの姿があった。
巨人軍かく勝てり―V9達成の秘密
巨人軍かく勝てり―V9達成の秘密

チームプレーとは「チームワーク」=「人の和」よりさらに深い考え方で、“人間集団におけるモラルから、グランド上のプレーに至るまで、あらゆる人間行動を網羅した広い考え方”といってよいと思う。
簡単な具体例をあげよう。
いまここで二人の人間がキャッチボールを始めるとする。ボールを握って投げる側は、次のように考える「相手が取りやすいところへとりやすいスピードで投げてやろう。投げ返す時のことも考えて胸元へ投げてやろう」そう考えて投げる。
一方受ける側はどうか。相手がそう考えて投げてもミスすることがある。だから相手の気持ちを察して、「万一とりにくいボールがきても、何とか受けてミスを未然に防いでやろう」この二人の「思いやり」がチームプレーの根本精神である。
 このちいいさな「思いやり」は、やがて「自分の義務と役割を完全に履行」することに広がり、チームのために「自己犠牲」をいとわず、「助け合い」、そしてチーム全員に「感謝」するところにまで高められていく。
巨人軍論 ――組織とは、人間とは、伝統とは
巨人軍論 ――組織とは、人間とは、伝統とは

チームの要だったON
『チームを預かることになったとき、いつも私が手本としてきたのは川上哲治監督であり、川上監督が率いたV9時代の巨人というチームであった。それではV9巨人のどこが素晴らしかったのだろうか。まずはなんといっても王貞治と長嶋茂雄、すなわちONの存在をあげないわけにいかない。ONは長らく巨人の3番4番に座り続け常にチームの中心であり続けた。ただし私がこの二人を高く評価するのは、彼らが記録や数字を残したからという理由ではない。彼らが中心選手としての役割と責任をまっとうしていたという事実が大きいのである。私は「中心選手はチームの鏡でなければならない」と述べたが、王と長嶋は、まさしくそうであった。他の選手の模範であり続けたのである。そこが凡百の「四番」とONのちがうところなのである。

…その意味で、私は阪神の金本知憲を高く「評価」している。現在の球界で真の「四番」といえるのは彼くらいだろう。彼は少々の故障くらいでは試合を休まない。チームへの忠誠心も高い。金本が移籍してきてから、阪神の選手の意識が明らかに変わった…金本の野球に取り組む態度を見れば、まわりの選手も自然と「このままではいけない」と感じるようになる。また若手選手が直接叱るより先輩が叱ったほうが叱られた若手のショックは少ない。ここ数年の阪神の躍進には、この金本の存在が大きく寄与している』

ドジャースの戦法
ドジャースの戦法

『投手は自分の左側に球を打たれたらすぐさま一塁に向かってスタートする習慣をつけなければならなぬ。ゴロであろうとライナーであろうと変わりはない。直ちに一塁に突進せよ。適当な時に投手がマウンドを離れなかったためにゲームを失ったためしは多い。打球が左側にきたら、投手は真っ直ぐに一塁にスタートし、塁に近付いたらスピードを緩め、右足を塁に触れて、一塁手からの投球を待ち受ける。球を受け取ったら走者との衝突をふせぐために、ファウルラインの内側を二、三歩走り続けるが、この場合もし他の塁にも走者がいたら、投手はできるだけ早くとどまり、必要に応じて他の塁に投球する用意をせねばならない。
走者の足が遅いか、又は他の理由で投手がゆっくり一塁に間に合った時には、塁上で止まって、こちらに投球しようとしている野手の方に向き直り、一塁手のような身のこなしで、体をのばしたり、どちらかの側へ動いたりして、一塁手の代わりをつとめなければならぬ。』
背番号三桁―「僕達も胴上げに参加していいんですか?」
背番号三桁―「僕達も胴上げに参加していいんですか?」

「アホか、みんないいから出ろ!お前たちも行け!」優勝が決まった瞬間、ベンチから選手が一斉に飛び出した。星野はすぐさま裏方に対して叫んだ。
「尾張メモ」の全貌―情報は盗んで活かせ
「尾張メモ」の全貌―情報は盗んで活かせ

虚像がユニフォームを着ている

広岡監督殿

巨人偵察記・巨人の実像・私が過去三十年、対巨人と戦ってきた印象からみると、最低の巨人といっても過言ではない。人気という点では昔と雲泥の差があっても、実技つまり野球のすべてに対する取組む姿勢が欠けていること。緻密性がない。個人的には優秀な人材はおりますが、チームプレー1つをとってみても投手は三本間に三塁走者を挟みながら、生かしてしまうランダンプレー等がその例。一発で刺さねばいけないプレーをウロウロして生かすということは、過去の巨人では考えられないことです。極端な表現ですが、巨人のユニフォームを着ている虚像にすぎない。−こう断言できます。

このくらいのチームが優勝することはちょっと考えられないことだが、優勝をバックアップしている審判団の判定が大きく作用していることは申すまでもありません。私自身がこの目で見ても、巨人がパ・リーグであれば、近鉄クラスの実力と見ます。それで人気だけが物凄い、まさに虚人です。・・・・・・
1983年10月15日
阪神タイガース
阪神タイガース

序章 黄金時代の幕開け
”遂に来たタイガースの時代”
『この世の春、である。長い長い苦難のときを経て、とうとう阪神タイガースの時代がやって来た』
覚悟のすすめ (角川oneテーマ21 A 87)
覚悟のすすめ (角川oneテーマ21 A 87)

これまでのプロ野球生活で、胸を張って自慢できることがひとつある。

それは、

「たとえお金にならないことでも、やるべきことを、全力を尽くしてやってきた」

ということだ。

2000年5月12日の第三打席を最後に、翌年9月28日の横浜戦第二打席まで、私は1002打席にわたって一度も併殺打を記録しなかった。これはあまり知られていないが日本記録である。
ただ、常に全力疾走を心掛けていなければ達成できなかった記録でもある。それを私は誇りに思う。

連続フルイニング出場にしても、「すごい」とほめられはしても、直接お金として返ってくるわけではない。

それでも私は、セーフになるチャンスがあれば、一塁に全力疾走する。果敢にボールを追うし、つねに次のベースを目指そうとする。なぜなら

「たとえお金にならないことでも、全力プレーするのがプロ」
そう思っているからである。

「いつケガをしてもいい」そういう覚悟で私は常に試合に臨んでいる。

それが、これまでの私のプロ野球生活を支えた信念であり、いまもつねに自分自身にいいきかせているモットーである。