アナフレ猛虎会

皆様こんにちは。アナフレ猛虎会 通称”頑張れ阪神タイガース☆です。
▼ お別れの会
[ 訃報 ]


“あなたの魂は永遠に”


元プロ野球阪神監督で、ゼネラルマネジャー在職中の9月に66歳で急死した中村勝広氏のお別れの会が19日、兵庫県西宮市の甲子園球場で開かれました。

中村氏は千葉・成東高から早稲田大を経て1972年、阪神に入団。大型スクリーンで足跡をたどった映像が流され、約600人の関係者が参列し、一般のファン約1000人も観客席から別れを惜しみました。
改めてご冥福をお祈りいたします。
また、私事で申し訳ありませんが、アナフレ猛虎会生観戦仲間であった小生の友人も先月の4日に急逝されています。
現役時代の中村氏のファンだった事も思い出されます。
この秋は本当に辛いニュースが続きました。
来季は頑張れ猛虎!
必ずやこの魂に応えてくれると信じています。


アナフレ猛虎会『頑張れ阪神タイガース』
author : 頑張れ阪神タイガース☆ | 07:32 | - | - |
▼ 虎67勝66敗2分
[ 訃報 ]




■2015/9/23 試合結果

対巨人 24回戦 東京ドーム

神|001 000 001|2
巨|100 000 101x|3

勝:澤村7勝3敗33S
敗:呉昇桓2勝3敗40S
HR:片岡ソロ10号
阪神:メッセンジャー - 呉昇桓
巨人:ポレダ - マシソン - 澤村

9/24の予告先発
神:秋山 拓巳
中:バルデス
──────────
訃報です。

“中村GMのご冥福をお祈りいたします”
猛虎ナインが巨人と善戦している真っ最中に信じられない字幕ニュースが流れてきました。
そしてまさかの訃報を知らないナインは最後まで粘るも宿敵にさよなら負け。優勝はほぼ絶望的な3連敗。
ホテルに戻ってから聞かされたナインの心中は信じられないショックだったでしょう。
この連敗を誰よりも悔しがっていたのが中村GMでしょう
奮起せよ猛虎ナイン!今GMを一番喜ばせるのは、奇跡を起こすことだ!

ご冥福をお祈りいたします。


アナフレ猛虎会『頑張れ阪神タイガース』
author : 頑張れ阪神タイガース☆ | 06:00 | - | - |
▼ 訃報です
[ 訃報 ]





“王二世 逝く”

台湾出身でプロ野球の中日、阪神でプレーした大豊泰昭(たいほう・やすあき、本名陳大豊=ちん・たいほう)氏が18日午後10時41分、急性骨髄性白血病のため名古屋市内の病院で死去しました。

早すぎますね〜本当に残念です。

台湾・華興高から名古屋商大、中日の球団職員を経て1989年にドラフト2位で中日入団。尊敬する王貞治氏の一本足打法で94年に38本塁打、107打点で2冠に輝くなど主軸として活躍。
98年に阪神に移籍し、2001年に中日復帰。02年限りで現役を退きました。
ベストナイン1度、オールスターゲーム出場3度。

通算成績は1324試合に出場し、打率2割6分6厘、277本塁打、722打点。

ご冥福をお祈りいたします。


アナフレ猛虎会『頑張れ阪神タイガース』
author : 頑張れ阪神タイガース☆ | 06:47 | - | - |
▼ 訃報です
[ 訃報 ]






“史上最強の監督 逝く”

我々少年の頃は、巨人が勝つのが当たり前でした。
そして当時の虎党にとって、とにかく憎たらしくてたまらなかった巨人の鬼!
史上最強の監督が死去されました。
現役時代は「赤バット」で終戦直後の球会を盛り上げ、MVP3回、首位打者5回、
本塁打王2回、打点王3回のタイトルを獲得し「打撃の神様」の異名を取りました。
通算18年で2351安打を放ち、生涯打率は3割1分3厘。

61年に巨人監督に就任すると、14年間で優勝11回、2位1回、3位1回、4位1回。
1066勝739敗、勝率・591の驚異的な成績を残し、特に65年からの9連覇(日本シリーズも)
は球史に輝く金字塔です。

いまこそ猛虎の和田監督も、この川上イズムを学び、勝つことの執念を思い返して
もらいたいものです。


ご冥福をお祈りいたします。


アナフレ猛虎会『頑張れ阪神タイガース』


author : 頑張れ阪神タイガース☆ | 07:04 | - | - |
▼ 訃報です
[ 訃報 ]

“悲運の闘将逝く”

プロ野球阪急、近鉄などの名監督として球史に残る多くのドラマを演出した
西本幸雄氏がお亡くなりになりました。
計5度のリーグ優勝を達成し、阪急を常勝チームに育て上げられましたが、
日本シリーズでは5度とも巨人に敗れて日本一になれず。
そして近鉄に移り2年連続優勝をしましたが、このときも日本シリーズで
いずれも広島に敗れ、ついに日本一を味わうことはできず、「非運の闘将」と
呼ばれました。

猛虎の監督の依頼をお断りになられたことでも有名でしたね。この方が阪神の
監督をしていたら、暗黒時代なんて無かったかもしれません。

ご冥福をお祈りいたします。


アナフレ猛虎会『頑張れ阪神タイガース』




author : 頑張れ阪神タイガース☆ | 07:01 | - | - |
▼ 訃報に思う
[ 訃報 ]


先日衝撃的なニュースが球界のみならず日本に流れてきました。
元阪神タイガースの伊良部氏の訃報。
本当に残念です。ご冥福をお祈りいたします。

そしてこの伊良部氏と同年代が縦縞で頑張っています。
今更ご説明するまでもありませんが。

しかし厄年とはよく言ったものですね。
昨年引退を余儀なくされた猛虎の要矢野様。
昨年の大怪我から遂に世界記録が途絶えた兄貴金本様。
そして今年はファームにて調整を続けている髭武者下柳君。
みな同年代のアラフォーです。
そして近年アクシデントもなく頑張っているのは桧山君でしょう。
いずれにしても、これからの後半戦の大事な場面で、猛虎を支えてきた
ベテラン達の活躍を祈っております。



アナフレ猛虎会『頑張れ阪神タイガース』





author : 頑張れ阪神タイガース☆ | 07:02 | - | - |
▼ 訃報です
[ 訃報 ]

”親分逝く”

謹んで故大沢啓二氏のご冥福をお祈りいたします。
つい先日まで日曜日の朝の顔として元気な姿を見せていたのに〜突然の知らせに言葉を失いました。

明日小生帰国のため今夜もこの辺で失礼させていただきます。

合掌
author : 頑張れ阪神タイガース☆ | 07:59 | - | - |
▼ 訃報です
[ 訃報 ]


“最も縦縞が似合っていた男”

プロ野球の巨人、阪神の元投手で、現在は日本ハム投手コーチの小林繁さんが17日、

心不全のため亡くなりました。

小林さんといえば79年2月、いわゆる「空白の1日」騒動で、江川卓投手とのトレードにより阪神に移籍。
そのシーズンに22勝をマークして最多勝のタイトルを獲得し、2度目の沢村賞に輝きました。
83年に現役引退するまで、プロ通算139勝95敗17セーブ。97年から01年まで近鉄の
投手コーチを務め、昨年日本ハムの2軍コーチに就任。今季は1軍コーチに昇格していました。

ご冥福をお祈りいたします。


author : 頑張れ阪神タイガース☆ | 07:21 | comments(0) | trackbacks(0) |


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阪神タイガースおっかけマップ (2005)
阪神タイガースおっかけマップ (2005)

阪神タイガースを語るには何がなくてもまず甲子園球場。大歓声でマンモススタンドが揺れ、ラッキーセブンのジェット風船は夜空が隠れてしまうほど舞い上がる。みなさん人生そのものをタイガースにかけているのだ。甲子園球場はもちろん、その周辺のこと=甲子園の街並みを知っていただきたい。野球とともに歩む姿を。またたくさんの楽しい、うれしいお店がいっぱいある。タイガースOBのお店や、ナインご贔屓のスポット、ファンが集うショップ。・・・・いえいえ甲子園だけではありませんぞ。おとなり尼崎も、芦屋も神戸、大阪も・・・・関西圏をくまなく知っていただこう。もちろん関東の情報も掲載!
野村ノート
野村ノート

ところが、以外な選手に感謝されているということもある。その代表的なのが桧山である。阪神時代、桧山に対しては叱ったことはあっても、野球はこうだ、人生はこうだと懇切丁寧に指導した記憶がない。・・・・平成15年、確か優勝した翌日の新聞だったと思うが、彼のインタビューに目を通し驚いたことがある。「野村さんが阪神の監督だったときは、いっていることがよく理解できなかったんですが、今になってやっとわかってきました」・・・・・桧山のように思ってもみなかった選手から感謝を受けるのも指導者冥利に尽きる。  それにしても人生はまさに一期一会だなあと思う。赤星、藤本は阪神のドラフトリストに名前はなかった。赤星はアマからのキャンプ参加、藤本は社会人選手権大会の観戦に行って、遊撃手を探していたときに目に留まった選手である。・・・・私との縁を大切にし、「考えないよりは考えるほうがいい」「知らないより知っていたほうがいい」と私にいわれ、「なるほどそうだな」と思い、ノートをこまめに取り、そのノートを保存し何度も読み返す。こうしたちょっとの差が、いざ自分が指導する立場になったときに活き、あるいはコーチや監督という地位を得るためのチャンスとなる。逆に出会いや縁を無駄にしてしまう選手は、将来の可能性まで狭めてしまうのである。
猛虎の70年
猛虎の70年

第1章阪神タイガースとは何か・・・・おそらくクソ度胸という点では球界ナンバー1の星野仙一の背中にスーッと寒気が走ったのは、彼が阪神の監督になってすぐのことだった。・・・いや、「恐怖」すら感じたという。それは阪神ファンが試合に感動し、勝利の歌を大合唱し、それが終わると球場の外へ出て、ゾロゾロと甲子園駅に帰るのではなく、球場近くの広場に何千人と集まり、そこでも「六甲颪」の大合唱をやるのだ。ファンはやがて甲子園の駅に移動する。この甲子園駅でもまたも「六甲颪」の大合唱となる。それでも終わらない。阪神電車に乗り込んだファンはそのまま梅田の駅で降りて、その梅田駅コンコースでまたまた「六甲颪」の大合唱である。これが深夜まで続くのだ。「お前ら、あれが聞こえるか?俺達はあの熱狂的なファンに対する責任があるんだ。もしあのファンを裏切ったら・・・・俺はどうなるか知らんゾ」・・・・「俺は勝ちたいんや!そのためにはどうするんや?俺はファンに喜んでもらいたいんや・・・・・」なんとも野暮なセリフである。だがかつて阪神の監督としてこんな直接的な言葉を発した指揮官はいなかった。少年のように「勝ちたいんや!」と絶叫する星野仙一。監督室まで聞こえてくる大合唱、そして海鳴りのようなファンの”鼓動”が星野仙一をギリギリまで追い詰めていったのである。そこには「日本一わがままで、日本一熱心で、日本一我慢強い」と星野が評したファンの姿があった。
巨人軍かく勝てり―V9達成の秘密
巨人軍かく勝てり―V9達成の秘密

チームプレーとは「チームワーク」=「人の和」よりさらに深い考え方で、“人間集団におけるモラルから、グランド上のプレーに至るまで、あらゆる人間行動を網羅した広い考え方”といってよいと思う。
簡単な具体例をあげよう。
いまここで二人の人間がキャッチボールを始めるとする。ボールを握って投げる側は、次のように考える「相手が取りやすいところへとりやすいスピードで投げてやろう。投げ返す時のことも考えて胸元へ投げてやろう」そう考えて投げる。
一方受ける側はどうか。相手がそう考えて投げてもミスすることがある。だから相手の気持ちを察して、「万一とりにくいボールがきても、何とか受けてミスを未然に防いでやろう」この二人の「思いやり」がチームプレーの根本精神である。
 このちいいさな「思いやり」は、やがて「自分の義務と役割を完全に履行」することに広がり、チームのために「自己犠牲」をいとわず、「助け合い」、そしてチーム全員に「感謝」するところにまで高められていく。
巨人軍論 ――組織とは、人間とは、伝統とは
巨人軍論 ――組織とは、人間とは、伝統とは

チームの要だったON
『チームを預かることになったとき、いつも私が手本としてきたのは川上哲治監督であり、川上監督が率いたV9時代の巨人というチームであった。それではV9巨人のどこが素晴らしかったのだろうか。まずはなんといっても王貞治と長嶋茂雄、すなわちONの存在をあげないわけにいかない。ONは長らく巨人の3番4番に座り続け常にチームの中心であり続けた。ただし私がこの二人を高く評価するのは、彼らが記録や数字を残したからという理由ではない。彼らが中心選手としての役割と責任をまっとうしていたという事実が大きいのである。私は「中心選手はチームの鏡でなければならない」と述べたが、王と長嶋は、まさしくそうであった。他の選手の模範であり続けたのである。そこが凡百の「四番」とONのちがうところなのである。

…その意味で、私は阪神の金本知憲を高く「評価」している。現在の球界で真の「四番」といえるのは彼くらいだろう。彼は少々の故障くらいでは試合を休まない。チームへの忠誠心も高い。金本が移籍してきてから、阪神の選手の意識が明らかに変わった…金本の野球に取り組む態度を見れば、まわりの選手も自然と「このままではいけない」と感じるようになる。また若手選手が直接叱るより先輩が叱ったほうが叱られた若手のショックは少ない。ここ数年の阪神の躍進には、この金本の存在が大きく寄与している』

ドジャースの戦法
ドジャースの戦法

『投手は自分の左側に球を打たれたらすぐさま一塁に向かってスタートする習慣をつけなければならなぬ。ゴロであろうとライナーであろうと変わりはない。直ちに一塁に突進せよ。適当な時に投手がマウンドを離れなかったためにゲームを失ったためしは多い。打球が左側にきたら、投手は真っ直ぐに一塁にスタートし、塁に近付いたらスピードを緩め、右足を塁に触れて、一塁手からの投球を待ち受ける。球を受け取ったら走者との衝突をふせぐために、ファウルラインの内側を二、三歩走り続けるが、この場合もし他の塁にも走者がいたら、投手はできるだけ早くとどまり、必要に応じて他の塁に投球する用意をせねばならない。
走者の足が遅いか、又は他の理由で投手がゆっくり一塁に間に合った時には、塁上で止まって、こちらに投球しようとしている野手の方に向き直り、一塁手のような身のこなしで、体をのばしたり、どちらかの側へ動いたりして、一塁手の代わりをつとめなければならぬ。』
背番号三桁―「僕達も胴上げに参加していいんですか?」
背番号三桁―「僕達も胴上げに参加していいんですか?」

「アホか、みんないいから出ろ!お前たちも行け!」優勝が決まった瞬間、ベンチから選手が一斉に飛び出した。星野はすぐさま裏方に対して叫んだ。
「尾張メモ」の全貌―情報は盗んで活かせ
「尾張メモ」の全貌―情報は盗んで活かせ

虚像がユニフォームを着ている

広岡監督殿

巨人偵察記・巨人の実像・私が過去三十年、対巨人と戦ってきた印象からみると、最低の巨人といっても過言ではない。人気という点では昔と雲泥の差があっても、実技つまり野球のすべてに対する取組む姿勢が欠けていること。緻密性がない。個人的には優秀な人材はおりますが、チームプレー1つをとってみても投手は三本間に三塁走者を挟みながら、生かしてしまうランダンプレー等がその例。一発で刺さねばいけないプレーをウロウロして生かすということは、過去の巨人では考えられないことです。極端な表現ですが、巨人のユニフォームを着ている虚像にすぎない。−こう断言できます。

このくらいのチームが優勝することはちょっと考えられないことだが、優勝をバックアップしている審判団の判定が大きく作用していることは申すまでもありません。私自身がこの目で見ても、巨人がパ・リーグであれば、近鉄クラスの実力と見ます。それで人気だけが物凄い、まさに虚人です。・・・・・・
1983年10月15日
阪神タイガース
阪神タイガース

序章 黄金時代の幕開け
”遂に来たタイガースの時代”
『この世の春、である。長い長い苦難のときを経て、とうとう阪神タイガースの時代がやって来た』
覚悟のすすめ (角川oneテーマ21 A 87)
覚悟のすすめ (角川oneテーマ21 A 87)

これまでのプロ野球生活で、胸を張って自慢できることがひとつある。

それは、

「たとえお金にならないことでも、やるべきことを、全力を尽くしてやってきた」

ということだ。

2000年5月12日の第三打席を最後に、翌年9月28日の横浜戦第二打席まで、私は1002打席にわたって一度も併殺打を記録しなかった。これはあまり知られていないが日本記録である。
ただ、常に全力疾走を心掛けていなければ達成できなかった記録でもある。それを私は誇りに思う。

連続フルイニング出場にしても、「すごい」とほめられはしても、直接お金として返ってくるわけではない。

それでも私は、セーフになるチャンスがあれば、一塁に全力疾走する。果敢にボールを追うし、つねに次のベースを目指そうとする。なぜなら

「たとえお金にならないことでも、全力プレーするのがプロ」
そう思っているからである。

「いつケガをしてもいい」そういう覚悟で私は常に試合に臨んでいる。

それが、これまでの私のプロ野球生活を支えた信念であり、いまもつねに自分自身にいいきかせているモットーである。